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人生も還暦を過ぎましたが、半ばで亡くなられた同期の方々があります。お彼岸を期に改めてこの方々に哀悼の意をささげます。

        

七夕14会の始まりはわしらが齢50に達し、久し振りに東京地区の同期会を開こうか・・という頃だった。
2〜3年間「知らぬ顔のはんべい」を決め込んでいた担当幹事の名前は忘れたが、
「いわの〜こがあなことじゃあいけんのう!」という森澤の呼び掛けで、同期生に集合をかけた記憶がある。
当時、バブルの名残りはすっかり消え失せていたが、飛ぶ鳥を落としていた頃の森澤は
14会の二次会に赤坂の高級ド・キャバレーを指定&勘定もさっさと済ませ、
わしらをびっくりさせてくれたものだ。お世話になった14会の連中は森澤に足を向けては寝れん!はず?
森澤とは高校時代、かるが海水浴場のヨットやら風呂場の覗き穴以来の悪友でもあった。
当時から腎臓の調子はよくなかったような記憶があるが、不動産業の社長になった後、人工透析に変身。
2005年10月10日、20年近い透析生活の末、先立った。
わしは世田谷の豪邸を買う時も手放す時も世話になっておる。二人で新宿歌舞伎町を歩いて
いるとチンピラが森澤に向かって挨拶しておったわなあ。あいつはそういう歩き方が
身についとった。育った呉の街のせいかのお。じゃが、バブルが弾けてからは、事務
所に通ってくる野良猫を可愛がっておった。あの猫、いまどうしとるかのお?まあ、
近いうちにわしもそっちに行くんで、待っとってくれえや・・・・・・・
       岩野

                          

no. 氏   名 旧 姓 備 考
429 森 澤  鎮 夫 平成17年10月10日ご逝去

        

no. 氏   名 旧 姓 備 考
521 多 田  伸 一 平成17年2月11日ご逝去

 「40周年同期会」に参加されていた 水口君が亡くなられていました。枚方分室Oくんが、呉のお宅を弔問してくれました。

□呉に帰省中の9月8日に彼の家を訪問しました。
彼の家は東惣付町で灰が峰の下にあり呉湾が一望できるところでした。彼の家に着くとお母さんが出迎えてくれました。(彼は独身でした。)
彼の仏前に線香をあげてからお母さんと話をはじめました。
彼は昨年の11月1日に呉国立病院に定期検診に行き検診を受ける前に狭心症で倒れ病院での必死の治療のむなしく息を引き取ったとのことでした。
それから約1時間半彼の思い出話をしました。彼は海外旅行が好きで時々海外に旅行したことや、同期会に参加すること大変楽しみにしていて、次回呉での45周年記念同期会を楽しみにして開催に際しては何か手伝いをしたいといっていたそうです。
その時東京のHP掛さん(324)から渡してほしいといわれていた、40周年の時のフジテレビでの写真を手渡すと大変喜ばれ、同期生の皆様によろしくとのことでした。
お母さんは次回の呉での45周年の同期会の様子を連絡してほしいとの要望があり、その時の集合写真送りますと約束して彼の家を後にしました。最後にお母さんは健康には気をつけてくださいとの言葉をいただきました。同期生の皆様健康には十分気をつけて又大阪でお会いしましょう   


no. 氏   名 旧 姓 備 考
230 水 口  正 博 平成16年11月1日ご逝去

呉三津田高校14回生・物故者名簿
平成15年10月   卒業40周年同期会にて
no. 氏   名 旧 姓 備 考
 103  門   政 男
106 川 崎  雅 範
121 東 田  悦 男
131    森   正 樹
140 中 川  暢 子
153 丸 下  蔦 子
231 道 本  一 光
250  角  田  真 穂 美
325   村 外  英 比 古
347 濱  多 華 子
453 荻 野 目  忠
454 藤 谷   昌 荘 
450 名 原  南 美 子 溝 部
507 薄 井   勲
618 鈴 木  国 男
640 鈴 木  英 美 川 島
645 真 山  一 恵 瀬 川
704 岩 田  恵 子
713 上 利 津 子
723 平 井  佳 子 谷 川
726 日 浦  節 子 戸 井
浄 土  京 子 彦 惣
742 平 田  通 恵 毎 本

 お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り致します。