TOP > HOME > お楽しみコーナー > 我が青春とビックシングルの軌跡












 

我が青春と
ビッグシングルの軌跡


       文 / 岩野 漠  
 岩野宏之のペンネーム/いわんのばかとも読むらしい。
 長男の名前はこのペンネームを流用。省エネです
 [注]ご長男はDJ BAKUの名で業界では有名!とのこと。
春の夜、机の上に置かれた黒焦げのスピードメーターを眺める度に、私はなつかしい愛車の排気音を聞く思いがする。それは、当時まだ学生だった頃の私が愛用していた英国製  マチレスG3L(単気筒350cc、1941年型)のSMITHS製クロノメトリック・スピード メーター(フルスケール90マイル。30マイルに白線入り)なのだ。

木曽路にて

K精神病院の思い出




 大学時代、心理学科に籍を置いていた私は、実習と称しては研究室を抜け出し、東京から甲州街道を走り抜けて山梨県にあったK精神病院に出入りしていた。実際には昼間、近くの山道にオートバイを走らせ、途中から愛車を置いて山歩きを楽しんでは、夕刻、病院長のお宅にごやっかいになるという不良学生であった。 大学3年の春、例によって休みを利用した1週間ばかりの長距離ツーリングに出かけたのだが、東京に帰り着く前日はいつものように院長宅に1泊。あちこちの大学から集まった真面目な学生に混じって「精神分析講読会」などという、むつかしい集まりに顔だけは神妙に出していた。翌朝、いよいよ東京に向けて出発、という時になって愛車はバックファイアを起こしてしまった。エンジン始動のためにキックした瞬間、タイミング悪くエンジン内部の火がキャブレターに吹き返してきたのである。当時の旧型車としては、それほど珍しい現象でもないのだが、私のマチレスはとびきりの年代物(1945 年製で進駐軍払い下げの伝令用マシン。後輪はクッション無しの固定式で、悪路に入るとジャジャ馬のように跳ね回るという代物)。火は締まりの悪いコックから絶えずにじみ出していたガソリンに引火、あわてて消そうとする手袋にまで飛び火してきた。アッチアッチとやっているうちにガソリンタンクの塗料が燃え始めた。
幸い畑道の真ん中での出来事で、わしづかみにした砂をかけてはみるのだが、火はますます広がる一方。すっかり動転した私は、あわてて愛車を畑の中に横だおしにして、その上から砂をかけようと試みた。しかし出発前のガソリンタンクは満タンになっており、タンクからあふれ出たガソリンで、マシンは逆にすっかり火の海に入ってしまったのだ。
 畑の中で黒煙を上げて燃えるオートバイを見て、病棟からは患者さんが次々にかけつけ、作業用のスコップで砂をかけてなんとか消し止めてくれた。だが、その間あわれな不良学生は茫然自失。我にかえったときには、永年つれそった愛車は無惨な姿に変わりはてていた。
 吹き上げる黒煙の中で、私は愛する人の荼毘(火葬)に立ち会っているような奇妙な感覚にとらわれていたらしい。オートバイ乗りの多くは、自分の乗り慣れたマシンに対してある種の愛情、あるいは一体感をもつことが多いのだが、それは機械でありながら体の一部のように反応し、エンジンのぬくもりを肌で感じさせるといった生きもののような存在感があるからかもしれない。原野を共に走り、苦楽を共にしたマシンの死を、自分の目で看取ることができるのも、ある意味では幸せなのかもしれない、私はふとそう思っていたのだ。
 数分にして愛車を黒焦げにしてしまった私は、焼け焦げた手袋とヘルメットを片手に東京行きの列車に乗り込むハメになってしまったが、その時、せめてもの思い出にと外してきたのが、机の上に載っているスミス製のスピードメーターなのだ。この事件には後日談がある。後に院長宅をたずねた折に聞かされた話では、騒ぎの直後、患者さんの一人から「院長先生、あの学生さんは頭が少しおかしいですよ。自分のオートバイが燃えてるのにボンヤリして、一度精神鑑定した方がいいですよ」という注意を受けたという。

 焼死した?マチレスとは実に色々な地方へ旅したものだった。高校時代、郷里の山々を学校が終るのももどかしく、毎日のように走り回ったのもこのマシンだし、その後、東京の大学と郷里の広島の間を休暇の度に往復したのもこのマシンだった。 悪路ではあちこちのボルトがゆるみ、夜道ではライトが消えることもしばしば、という今から思えば空恐ろしい欠陥車だったが、それだけに修理の面白さや、真っ暗な峠道を月明かりをたよりに走り抜けるという思い出多いマシンでもあった。
 その後、傷心の私はマチレスと同じ英国製のビッグ・シングル、ノートンES2(単気筒500cc)を手に入れることで、なんとか立ち直ることができた。高校時代から、すっかりオートバイの魅力にとりつかれていた私は、オートバイなしでは夜も日も明けぬという、今の暴走族顔負けのオトキチであったが、マシンを走らせるときは一人というのが鉄則であった。大学が長い休みに入る度に、東京から郷里の広島県呉市をめざして長距離ツーリングに出かけるわけだが、スピードにまかせて高速道路をつっ走り、一昼夜ぶっとおしで到着、などという走りかたはどうしてもできなかった。



愛車が炎上したK精神病院前に広がる畑とマチレスに続いて手に入れたノートンES2 1958年製 500ccにまたがる筆者。ガソリンタンクの上には登山用のリュックと高速道路用のヘルメットがくくりつけられている。


雨と寒さを突いて


 長距離ライダーの行く手には、風を切る爽やかさの他に、気まぐれな自然の試練もある。長期間のツーリングに出れば、一度は必ずといっていいほど雨に降られるのが現実だ。スピードの中の雨は真正面から顔をビシビシたたきつけ、丁度空中に浮かぶ小石があたってくるような感じさえする。完全防水をうたうオートバイ用の雨具も1〜2時間も走り続ければ、体中のあちこちからジンワリと雨水がしみこんでくる。ワイパーのないゴーグルは2〜3分おきには指先で拭いてやらねばならず、ブーツの中はやがて水びたしになってしまう。日頃の渋滞道路を、呪うかのように猛然と脇を走り抜ける4輪車のはね上げる泥水は、丁度ライダーの口元に飛びかかり、口の中は泥水でジャリジャリ。冬場の寒さに至っては、マシンの上で体を動かすこともままならず、修業中の達磨大師よろしく、寒さの中、じっと座ったままひたすら寒風に向かって耐えるのである。考えようによっては最悪の旅とさえ思われるのだが、ライダー達は相も変わらずこの不完全な乗り物で旅に出る。四十、五十を過ぎ、とっくに引退したはずのロートルライダーでさえが、年に1度のロングツーリングを夢見るのだ。山を越え野を越え、谷を越えて走り続けるオートバイライダーから想像されるイメージは、映画「大脱走」やTV「さすらいのライダ−」のタイトル場面のように、自由男のロマンとを感じさせるものだろうか。 一人旅に出るライダーの心の底には、日常生活のきずなから解き放たれ、自由とロマンを求める憧れに似たものがあるようにも思われる…。
 枯れ葉を巻き上げながら走り去るマシンと遠く力強く響きわたる排気音、 一方ではこれ程にも愛らしいマシンなのだが、ひと度、別種のライダーの手に渡れば、その瞬間から互いに群がり傷つけながら暴走する怪物に変わってしまう。夢みるライダーにとってこのマシンの変身ぶりはなんとも悲しい限りである。
 ところで、はた目にはいかにも孤独な存在に見える長距離ライダーだが、実際の旅に出れば世界中到る所に仲間が満ちあふれている。不思議な話に聞こえるかもしれないが、互いにすれ違う長距離ライダーは瞬間のうちにお互いの存在を確認し、親愛の情を込めた合図を交しあっている。バスや電車の運転手同士が交す片手の合図に似たものだが、旅先で初めて出会うライダ−同士が、どちらからともなく自然に交す一瞬の友情である。時代を反映してか、最近の若者の間では2本指を出すピースサインもすたれてしまったが、昔気質の長距離ライダーは左手を斜め前にチラリと上げて、小気味よい挨拶を残してゆく。夏の朝、ツーリング用の荷物を載せたライダー同士が、すれ違いざまそうしたサインを交している姿は、一般の人の目には暴走族仲間が全国を走り回っているくらいにしか映らないのかもしれない…。
第二次世界大戦中、英国のマチレス社は8万台にのぼるOHVマシンを製造し、各地の戦場へ送りだしているが、その大半は信頼性の高さに定評のあったマチレス G3/Lであった。日本にも敗戦後、連合国の進駐に伴って伝令用バイクとして陸揚げされている 1941年型、ボア×ストローク 69mm×93mm の総排気量350cc。
(撮影地/呉)
高校時代、リジット(固定式)のリヤサスペンションをものともせず走り回ったマチレス単気筒。
ヘッドライトには国防色のライトカバーを装着。(撮影地/野間苑)

リアルシンプルライフ




 一般の人々とライダーを区別するような考え方はあまり好ましくないが、長距離ツーリングの世界には、体験した人にしかわからない部分が多分にある。家ではTVの前に座り込み、旅行では流れる車窓の景色を楽しみながら食べては眠り、人だかりの観光地を走り回る人々には無緑の世界がそこにあるからだ。
 周囲を鋼鉄の壁で囲まれた箱の中に同じ匂い、同じ音、同じ光をひきつれたまま移動して行く人々の窓の外に、松林を渡る風の匂いをかぎわけ、潮騒の音を聞き、太陽のぬくもりを体全体で感じながらマシンを操縦するライダーがいる。確かに、自然の厳しさをまともに受けながらの孤独な旅だが、そこに豊か過ぎる現代人の忘れてしまった何かがありはしまいか。巨大な?荷物用スペースを持つ箱型車が多くの便利用品と共に日常生活をつめ込み走り続けるのに比べ、眼られたスペースしか持てないライダーは一切の不用な特ち物を拒否しなければならない。ステレオも一升瓶も、着替えのスーツでさえ、荷台に乗せる余裕はない。イギリスの多くの古典派ライダーが愛用する服装はコットンの素地にたっぷりオイルをしみこませた晴雨兼用のオーバーウエアだ。
見た目にはいかにも汚らしいこの服装も、実は雨ガッバを荷台から除けるという合理性の現れといえるだろう。シンプルライフを目指しはするが、シンプルライフという名のもとに更に買い込み、増々生活を豊かにするのが現代的シンプルライフなのかもしれない。
 理想的な自動車の登場で雨を忘れ、寒さを忘れ、夜を忘れ、疲れさえ忘れることができそうな現代だが、同時に人々は匂いや光に対する感覚、指先や爪先の感覚を失ってはいないだろうか。疲れを知らない人々に快い休息はありえないことを忘れてはいないだろうか。ジョギングや市民マラソンの爆発的な流行は、正に疲れから引き離された人々の体の底から湧き出た疲れへの願望ではあるまいか。誕生以来、危険で、うるさく、不愉快な乗りものと呼ばれ続けてすでに1世紀、開発当初から殆ど変わらない姿のままで生きながらえ、なお人々から求め続けられている オートバイの魅力長距離ライダーへの憧れは、このあたりに根ざしているのかもしれない。
 時として、ヘルメットをつけて走り去るライダーの姿と、馬を駆る中世の騎士の姿がダブって見えることがあるが、それは外見的な形だけの問題にとどまらない。たとえ事故を起こしたとしても、なぎたおした人々の上にドライバーだけは生き残ろうという4輪世界の生きざまとは別に、ひと度、事故になれば自らも傷つき倒れることを潔しとするオートバイライダーの心の中に、中世騎士道精神に似たものを見るからだろうか。


竹原〜呉の途中。


[あとがき]
◇8月10日 岩野くんからメールで 「HP管理、お世話さまです。先日、お便りコーナー「新緑版」で、ちらっと紹介しました単行本、遅れておりましたが
やっと発行になりましたので 皆に興味ありそうな所だけ、お送りします。
現物は3500円もする高い本で、出版社が儲かるだけだから買わないでよろしい」とのこと。

 14回ネット発足に伴い再編  06.06.25  produced by m@